エゴの押し付けになっていないかの判断は難しいよね

「ほら、母さん昔美大に行きたかったって言ってたじゃん。いまはこういう通信課程で取れるらしいよ、美大の学士が」と僕は多少興奮気味にまくし立てた。つい先日、いくつか美大のパンフレットを抱えて実家へ帰り、ダイニングテーブルでそれを広げてあれもあるし、こういうのもできるよ、と色々と母親と話していた。

母親は多少困ったような顔をして「んー、今の母さんにとってはこういうのはハードルが高すぎてちょっと…」と苦笑いをするが、僕は「なーに言ってるの。こんなの19歳がやるようなことだし、一歩一歩やるだけなんだから全然問題ないよっははは!」などと言っていた。それでもやっぱり無理、検討はさせてもらうけど、ということで、できない理由しか探さない母親に僕は少しあきれて、席を立ってリビングのソファーへどかっと座った。

それを見かねた母親は、ためらいながら言葉を選びつつ、とつとつと僕に語りかけてきた。「あなたは今では本当に立派になった。それは母さんもとても嬉しいし誇らしい。問題を見つけてそれを解決することで日々世の中の人に感謝されているんだと思う。でも、家の中ではそれはいったん忘れてほしいの。母さんや他の家族が抱える事情は、問題として解決するべきものとして捉えるのではなくて、あくまでそういう事情があるんだっていうだけで見守っていてほしいの。きっとあなたには家族の問題がたくさん見えているのだと思う。それを解決して、こうあってほしいという理想があるのだと思う。でもそれはあなたにとってこうあってほしいというものよね?その気持ちはわかるけど、そのプレッシャーってなかなかつらいものなのよ。だから出来れば、問題解決っていうスタンスではなくて、ただ見守っていてほしい。」

僕はこれを聞いて正直言うとかなり悲しい気持ちになった。自分がしていることが相手にとって逆効果になっていることがわかったからである。僕はただ良かれと思って勧めたものだったが、どうやら相手の気持ちを考えずにただ意見を押し付けただけでエゴ丸出しだったことにそこで初めて気がついた。美大の通信はもともと僕が行きたいと思って検討を始めたものだったが、せっかくなら母親もどうかななどと思って勧めたわけで、それなら僕だけ勝手に始めてから勧めればよいというものである。

相手が問題解決を望むとはいっても、どこまでを問題と考えているのかは人それぞれである。そこを勝手にこっちで解決してあげるような素振りをしてかき回すのはただの失礼な行為であること、これは大事な教訓だと思う。まして家族の問題は相当センシティブだ。本当は「あなたがどんな事情を抱えていようとも、あなたは私の家族なのだ」と抱きしめて上げることが一番必要なことなのかもしれない。

たくさんの言葉より、一回の"ぎゅっ"なのかも。