法科大学院とAKB48に、共通点なんてある?

 

2か月前にこんなツイートをしていたことを思い出しました。

そこで以下では、AKB48という制度と法科大学院制度について言及したいと思います。

“あきらめること”については他の記事に回します(追記事:あきらめることの本質と展望)。

 

(なお、 お断りしておきますが、僕はAKBウォッチャー(俗に言うヲタ)なので、公正な視点で書くことができない可能性があります。悪しからず。)

 

AKB48での原体験…元メンバー・中塚智実さんの発言から

 

AKB5期生の中塚智実は、ハーフのようなはっきりとした目鼻立ちでルックスの評価は高いながらも、今一つ人気が出ない現状に悩んでいた。

同期の北原里英は順当に女優業の経験を積んでいるし、同じく同期の指原莉乃に至ってはプロデューサーの秋元康をして「AKB48とは、指原莉乃の“奇跡”のことである」と言わしめるほどの活躍ぶりである。先日の総選挙1位はあまりにも劇的だった。

 

中塚は語る。「AKBがどんどん大きくなっていく中で、自分の立ち位置とかわかんなくて私はこのままどうしたらいいんだろうってずっと悩んでました」。

中塚は過去5回の選抜総選挙で、ランクインしたことがない。

同期が活躍しまくっている分、芸能界における市場価値の低さを痛感せざるを得ない立場にいたのが、中塚だった。

 

遂に中塚は、20歳になるのを節目に卒業することを決心する。

しかし、中塚は、卒業をまだ発表する以前に行われた「握手会とかで皆さんが「これからも応援するから頑張ってね」と言うのを聞いて、正直心の中で“ごめんなさい”って何度も思ってました」と述べている。

ファンのために頑張り続けることの辛さが見え隠れする。

 

そして2013年7月7日、卒業の時。最後の握手会に臨む。

「くりす(引用者注・中塚の愛称。滝川クリステルに似ていることから)に会えてこの1年楽しかった。推しててよかった。」というファンからの言葉。

中塚は、ブログで「私は、ちゃんと必要とされてたんだって。こんなにも愛されてたんだって。(中略)辛いこと沢山あったけど、AKB48のメンバーになれて本当によっかったなあ。」と綴る。

卒業を発表した際は「思い返してみれば、辛いことの方が多かった」と語った中塚だが、いざ卒業するに際して、現役メンバーに向けて残した最後の言葉は、とても前向きだった。

 

「今は気付けなくても、もう少し時間がたてば沢山の幸せに気付ける」。

 

(参照・戸賀崎ブログ中塚ブログ中塚インタビュー動画)。

 

 AKB48という制度の酷さ…少し抽象的な視点で

 

再び同じツイートを引用して考えたいと思います。

自分の夢が打ち砕かれてしまったメンバー(厳密に言えば打ち砕くのはメンバー自身ですが)は、頑張り続ける理由が「夢を叶えるため」という自分中心のものから「ファンのみんなのため」という他人中心のものに移ってしまう可能性が高いように見えます。やはり劇場公演や握手会の現場に駆けつけてくれるファンの存在は精神的支えになるようです。

しかし、「みんなのため」という考えは長続きしません(関連記事:【告白】僕も偽善者です、たぶん。)。

結局AKBでの活動が「夢にしがみついている自分を正当化するため」、もしくは「ファンのために頑張る自分って素敵、という自己肯定のため」の手段に成り下がってしまいます。

 

そうすると「夢を叶える」という目的、手段としてのAKBから、AKBとして頑張ることそのものが目的にすり替わるという事態が発生します。

目的と手段がすり替わること自体は別に構いませんが、AKBとして頑張ることを目的に執着してしまうと「夢を叶える方法はAKB以外にもたくさんあって、色々試してみよう」という発想が生まれて来にくくなってしまうことが問題です。

 

人生においては、夢が叶わないことは問題ではなくて、色々やってダメだったけどまぁまぁ楽しかったかなという充足感が大事だと考えています。

もっとも、全てを試すことは不可能である以上、一定の後悔は生じざるを得ないとも考えているので、充足感を得るにも難しさはあります。充足感については、今後書くかも(追記事:「後悔することを後悔しない」覚悟、ありますか?)。

 

結局AKBという制度の酷さをまとめると、こんな感じです。

①夢を打ち砕かれたメンバーであっても、ファンが応援してくれている以上、“あきらめること”が容易でないこと

②あきらめずに頑張るとしても、目的と手段が逆転し、色々な方法があるのに発想が狭まってしまう可能性があること

 

中塚智実さんは、AKBを卒業し、このふたつの“酷さ”と距離を置きました。

 

「今は気付けなくても、もう少し時間がたてば沢山の幸せに気付ける」。

 

彼女の最後の言葉は、とても穏やかです。AKBで頑張ることを“あきらめた"彼女だからこそ、見えてきた幸せや未来があることを感じさせます。

 

 法科大学院という制度は酷か?

ここにきて、ちょっと書くの面倒になってきましたね。

みなさんも読むの面倒になってきました?

ですよね、わかります。

 

まとめて書きます。

法科大学院は、“理論と実務の架橋”を理念とし、法曹界に行けるとは限らないのに素人と法曹界の間でうろうろさせられる点で、芸能界に行けるとは限らないのに素人と芸能界の間をうろうろさせられるAKBと制度的に共通

法科大学院生には別にファンとかはついていないが、高い学費・今まで投資した時間・親などへのメンツなどを考えてしまうと、”あきらめること”は容易ではないかも

法科大学院に入ると法曹三者の先生方から実務を少し教わってしまうため、法曹になりたい願望が強くなり、法曹以外に視野が向きづらく、特に就活せず「社会に貢献したい」と漠然と勉強してきただけの大学院生たちの視野が狭まる可能性が高い

 

以上3点は、僕の考えです。

 

みなさんは「法科大学院制度は酷である」と考えますか?

 

なお、僕がこの記事で使っている”酷さ”とは、長所でもあり、短所でもあります。「酷であること=改善すべき悪いこと」ではないことを付言しておきます。

 

それでは。もんもん。

 

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追記

大島優子が「仲間のため」にしてきたこと、それは"自己犠牲"だったのか?

にて、この記事の内容に関してちょろっと(ぶっちゃけるとかなり)変えたところがあります。ご参照いただけると嬉しいです。