「結果が全て」 +「過程こそが大事」=???

 

僕が勝手にやっている昔のツイートを振り返るシリーズ。

今回は「結果が全て」vs「過程こそが大事」論争についてです。

結論から言えば、「どっちも正しい」と考えています。

 

「結果が全て」

何かしら自分がアウトプットしたものを外部から評価してもらうべき状況であれば、「結果が全て」です。大学入試しかり、スポーツの試合しかり。

恋愛も同じです。相手にどれだけ気に入られるよう頑張ったかはどうでもよくて、外見や言動など相手から見える”結果”が、相手の判断基準に照らして評価に値するものであれば、ふたりの関係は進展するというわけです。

組織に属さないフリーランサーも”結果”に対して報酬が支払われます。組織であっても、どれだけ”バリュー”を出したかを重視することや成果報酬を採用することは、まさに「結果が全て」の視点です。

外資系企業出身者の書いた本にはやたらと”バリューを出せ”と書いてあります。「結果が全て」は、いわば西洋的な視点と言えるでしょう(全く論理的でないこの2行、まぁ例え話ですんで)。

 

「過程こそが大事」

例えば、セレブの友達からこう誘われたとします。

「富士山へご来光拝みに行こうよ!うちのヘリコプターで!」

「いや、それ全然意味ないでしょ。自分の足で登りたいわ。」

と思わずツッコミを入れたくなりますよね。このツッコミこそが、「過程が大事」の姿勢です。

つまり、”富士山の頂上に行った”という結果自体を得ても、あまり意味がありません。ご来光だって「うおー、すげー」程度ですよね、ぶっちゃけ。行ったこと無いからわからないですけども。

結果に意味がない以上、過程をいかに過ごすかによって、得るものが変わってくるわけです。ヘリコプターではなく、自分の足で富士山に登ったのならば、達成感なり得られるはずです。さらに言えば、別に富士山ではない他の山でもいいし、自分にとって”山”だと思える課題であってもいいし、登る対象は何でもいいわけです。

このように「過程が大事」というのは、外部の評価と関係なく、自己の成長のみに焦点を当てた議論です。

「結果が全て」を西洋的とするならば、「過程が大事」は東洋的もしくは日本的な視点と言えるかもしれません。柔道、剣道、華道、茶道、お掃除道etc...と、日本人は何でも”道”を敷いて、自己の成長を目的とした修練が好きですよね。

 

「結果が全て」vs「過程が大事」…?

人は社会で生きている以上、他人に評価されざるを得ない。良い結果が出せなければ飯は食えない。「結果が全て」だろう。

刹那的な結果に一喜一憂せずに過程を大事にすべきだ。外見や結果だけで人を判断するようなやつを相手にすべきではない。「過程こそが大事」だろう。

 

…いや、どっちも正しいし、どっちも大事でしょ。

それよりも、さらに大事なのは「結果を出し続けること」じゃない?

 

「結果が全て」 + 「過程が大事」 = 「結果を出し続けること」

この公式は、僕が今勝手に思いついたものですが、全く真新しいものではなく、ある意味当然のことを表しているにすぎません。

生きて収入を得ていくためには、ずーっと結果を出す必要があります。結果を出す代償として、一発誰かを出し抜いて信頼を失うなんてことをしてしまえば、その後周りからの信頼を失ったその人は結果を出し続けることは困難でしょう。結果を出すことより、結果を出し続けることの方が大事です。

とすれば、「結果が全て」と「過程が大事」という姿勢は、互いに相反するものではなく、「結果を出し続ける」という目的を達成するためのいわば車の両輪となります。

(「結果を出すこと」と「結果を出し続けること」の違いは、世界一のプロゲーマー梅原大吾さんの著書『勝ち続ける意志力』、又はちきりんさんのブログ(「勝つこと」と「勝ち続けること」梅原大吾さん関連記事)を読んでいただければわかります。すいません、投げやりで。)

 

是非とも「結果を出し続ける」人間になりたいものですね。

 

…なーんて締めようと思いましたが、僕を含めた凡人にとっては、まずは「この分野では勝ち続けたい!!」と強く思えるようなものを見つけること、又は経験することが先決ですね。しかし、それが難しいんだってばよ。

 

それでは。もんもん。

 

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