「後悔することを後悔しない」覚悟、ありますか?

以前の記事で、こう書きました。

人生においては、夢が叶わないことは問題ではなくて、色々やってダメだったけどまぁまぁ楽しかったかなという充足感が大事だと考えています。

もっとも、全てを試すことは不可能である以上、一定の後悔は生じざるを得ないとも考えているので、充足感を得るにも難しさはあります。充足感については、今後書くかも。

 ってことで、今回のテーマは”後悔論”です(充足感についてじゃねーのかよ!というツッコミはさておき)。

 まずは過去のツイートから。

 

「私、後悔はしないんですよ」

って人、いますよね。芸能界のトップスターや、著名な経営者などなど。こういう発言をする人は、素晴らしい魅力を持っている方が多いですよね。

 

僕も以前はそうでした。大学生くらいまで「俺、後悔とか特にしないから」みたいな生意気な小僧でした(それで魅力的なら良かったが、そうでもなかった)。

しかし、大学院に進み、興味の幅も広くなり、周りの世界をどんどん知るようになりました。自分の将来について、数々の選択肢が見えてきました。

するとどうでしょう。

絶望しました、自分の過去に。「俺はアホか…!!あの時、なぜこんなことも知らずに、いや、知ろうともせずにのほほんと生きていたのだろう…!!」と。

多くの選択肢を知れば知るほど(知った気になればなるほど)、僕の中から「後悔しない」という選択肢が消えていってしまいました。

 

で、たどり着いたのが上のツイートです。

「後悔しないとか、無理じゃね?」って。

 

”後悔しない”という決断ももちろん有りです。

しかし、将来の自分は今よりもっと成長していて、世の中をより遠くまで見通せるはずです(より常識に縛られてるとも言えるけど)。将来の自分が過去の自分を振り返れば、必ず他のより良い選択肢が見つかり、後悔のもとになってしまいます。逆に過去のより良い選択肢が見つからなかったなら、それはヤバイ。成長が止まっていることになるから。

 

僕にとっては、”後悔しない”という決断のハードルが高かった。つい自分の中の完璧主義の部分が出てきて、こう言う「あの時こうしていればもっと良かった…」。

しかも、一度後悔の念が生じると、次にまた後悔したくないがゆえ、よりより選択肢を求めて肝心の行動に移せなくなるという悪循環に陥ります。で、行動したはいいが、また後悔する。より行動に移せなくなる。まさに後悔スパイラルです(ネーミングの悪さも半端じゃない)。

 

否定から肯定、抽象から具体

”後悔しない”とは、”自分の過去を否定しないこと”です。

つまり「後悔しない人生を送ろう」というのは、否定ベースから出発する議論です。

否定的な側面は必ずどこかにあります。過去の選択肢は無数に存在し、抽象的な「たら、れば」に振り回させてしまいます。だからこそ僕は絶望してしまったわけです。後悔スパイラルも抜け出すのは大変です。

 

しかし、逆に、肯定的な側面も必ずどこかにあります。何かしら感謝すべき過去の自分の行動が見つかるはずです。そうじゃなきゃ、今生きていないはずです。

そこで、将来の自分から感謝される事をひとつずつ積み重ねていけばそれで良いという考え方を採用し、「感謝したくなる人生を」という肯定ベースから議論を出発すれば、後悔スパイラルに陥ることもありません。

この考え方では、重要なのは、過去に積み上げた具体的事実に目を向け、さらに事実を積み上げることです。より良い選択肢を模索することではありません。

一番最初に引用した文章で書いた”充足感”は、事実の積み上げ及びその認識によって得られるものと考えます。

 

これらを標語的に言えば「否定から肯定へ、抽象的議論から具体的事実へ」となります。

 

これらの考え方は、当時ベストセラーである『スタンフォードの自分を変える教室』を読んだ際に、印象に残った「将来の自分に感謝される行動を取ろう」という言葉に着想を得て、否定とか肯定とか抽象とか具体とか、自分なりにレッテル貼りを試みた”後悔論”です。

 

最後の締めは、映画『僕等がいた』から、僕がちょー泣いた名言で。

(この言葉、ちょっと曖昧なんですが大意はあってるはず。原作の漫画とも違うかもしれないんで、詳しく知ってる方いたら、twitterとかで訂正教えてください。)

 

『本当は後悔したよ。たくさん、たくさん。出会わなければ良かったとさえ思った。けどね、私は、後悔することを後悔しないって決めたから。』ー高橋七美

 

それでは。もんもん。

 

 

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