真面目な僕の就活論は、不真面目なポストイットに落ち着いた。

 

このツイートを見て、イラっと来た方、いますよね?

はい、みんな顔を伏せて。

 

先生は誰にも言わないから、「自分、イラっと来ちゃったよ」って人、正直に手を挙げて。

 

はい、ありがとう。みんな顔を上げて。

 

 ってことで、みなさん手を挙げましたか?

 

…僕は、もちろん手を挙げました。

正直、イラっと来ましたね、自分の過去ツイートながら。

 

特に最後の「面白味は与えられるものではー」のくだりは、それこそ誰でも言えるような、しょっぼい自己啓発みたいな発言で、寒気すらします。ゾクゾク。

 

ほんとTwitterってのは、考えを練らないままなされる垂れ流し系SNSの代表格だってがよくわかる投稿でした。

 

イラっとくる理由

上のツイートにイラっとくる理由は、人それぞれあると思いますが、僕の場合、3つのイラっとポイントがありました。

 

まず、イラっとポイントの一つ目は、「お前、就活したこと無いだろ」ってところです。

 

はい、そうなんです。

僕は大学、大学院と通して学生時代に就活をしませんでした。

司法試験受験生ですので、企業の就活をしないのは当たり前なんですが、世間一般の学生からすればちょっと特殊な立場にいますよね。

 

なので、この過去ツイートは、就活生の気持ちに対する想像力を欠いた、単なる抽象論に陥ってるような気がします。

抽象論を振り回していること、それがイラっとポイントの二つ目ですね。

 

もっとも、過去ツイートが振り回している抽象論自体は、正論だろうな、とは今でも思います。

抽象論が正論であるため、ちょっと反論しづらい、これがイラっとポイントの三つ目であり、最大のイラっとポイントです。

 

蚊帳の外から正論を振りかざす奴ほど、ムカつく奴もいませんよね。

じゃあお前やってみろ、と言いたくなります。

 

「仕事が面白そう」幻想は、悲劇を生むだけじゃない?

さて、過去ツイートの抽象論が正論か否か、についてです。

 

当時、日経新聞に載っていた「就活生の企業の志望理由の75%以上が「仕事が面白そう」というのを挙げている」というアンケート結果を見て、僕はショックを受けたのを覚えています。

 

以下、当時の僕の気持ちを(思い出しながら)引用。 

仕事内容なんて1割くらいしか知らないまま企業に入るんだから、面白そうだと思ってた仕事を実際にやってみて詰まらなかったら、というかほとんどの仕事は詰まらないんだろうから、それってかなり悲劇じゃない?

 75%以上の人が、そんな変な期待しちゃったまま仕事始めて、みんな悲劇のヒロインにでもなるつもりか?

 

俺、絶対そんなのなりたくねーし。就活してないけど。

 

ってか、自分の好き嫌いで仕事を選ぶならまだしも、「面白そう」って何?

そもそも人生経験も就業経験も乏しい大学生が考える「仕事が面白そう」なんて、画一化するに決まってて、たかが知れている。

 就活生が考える「面白そう」は、企業から与えられた「やりがいや夢のある仕事」って情報に乗せられてるだけの幻想じゃないの?

 

…75%以上の就活生、しっかりしろよ!

 

この意見は、一部極論もありますが、まぁまぁ正論だと思います。

少なくとも、あんまり反論できませんよね、なにせ抽象論ですから。

 

で、申し訳ないんですが、これが正論か否かの検証は、ここでは省きます。

この記事の主題は、そこではないのです。

 

「就活生の75%以上」の内実

ほとんどの就活生はこんな感じに就活しているはずです。

 

「自己分析してみたものの、ぶっちゃけ自分のこととかまだよくわからないし、夢なんかも特に無いけど、就活して仕事はしないといけない、自立して生きていくために。みんなも就活してるし、とりあえず就活しよ。」

 

 だから、ぶっちゃけ適当なんですよ、どういう基準で判断して、どこの会社に就職するかなんて(ちゃんと就活したみなさん、すいません)。

 

結局「仕事が面白そう」という選択肢を選んだ75%以上の人は、大マジに考えて選んだんじゃなくて、適当で何となく選んだにすぎないってことです。

自分の好き嫌いもはっきりしない普通の就活生からすれば、面白そうな方が良いに決まっているから、何となくその選択肢を選んじゃうのは当たり前な話で。

 

それなのに僕はひとり、就活もしていない部外者でありながら憤慨していたわけです、「面白そう」を基準にするってどういうこと?!って。

 

僕は、真面目すぎる

ほら、僕って真面目じゃないですか。

こんなブログ書いちゃってるくらいなんで、みなさんお分かりかとは思いますが。

 

真面目ってのは、物事をまるで重大で深刻なことのように捉えてしまうことです。

それって非常に疲れますよね。

”重くて大きいものを、深く刻み込む”わけですから。

 

だから、僕は考えました。

物事なんてのは、”軽くて小さいものを、ちょっとポストイットする”みたいな感覚で扱うくらいが丁度いいんじゃないかと。

 

みなさん想像してみてください。

心の中の大きなホワイトボードに、小さいポストイットをぺたっと貼っちゃう感じ。

黄色でも水色でも、正方形でもハート形でも、何でもいいです。ぺたっと。

 

心にずしっと圧し掛かっていた嫌だったあの予定も、ほら、ぺたっと。

 

ぺたっと。

 

…何だか、ちょっとだけ、気が楽になりません?

 

不真面目になって、俯瞰する

最初の抽象的で真面目な就活論から出発して、不真面目になって、ポストイット貼っちゃえ、という話に落ち着きました。

 

これに対しては、「気が楽になったからって問題は解決しないぞ」なんて声が聞こえてきそうです。

 

が、それでいいんです。

問題なんて、そもそも大した問題じゃないし、そのうち解決するでしょ、っていう考え方なんですから。

 

 さらにいえば、問題は、全体像が見えるくらいちょっと距離を置いたとこから考えた方が、冷静に俯瞰できて、早く片付くんじゃないか、とも言えます。

コンサルタントの存在意義はまさにそこにありますよね。利害関係や執着心もあまりないから、俯瞰して冷静に判断できる。

 

まとめ

物事に直面した時の反応の仕方は2通り、真面目と不真面目があります。

 

真面目とは、重大深刻な反応。

不真面目とは、軽小浅貼な反応(”貼”は、”ポストイット”と読むべし)。

 

真面目な方が、きっと辛いけど、楽しい。

不真面目な方が、そんなに辛くないし、淡々と進む。

 

みなさんは何かに直面した時、どっちの反応を示しますか?

 

例えば、今回のこの記事は最初のツイートからしてイラっと来るし長いし議論は散漫だし大したこと言ってないし、という事実に既に直面しているわけですよね、みなさんは。

 

そこでみなさんが、すっと心のポストイットを取り出してぺたっとしてくれても僕は嬉しいし、真面目にこの記事に書いてあることについて考えてみちゃったよというのでも僕は嬉しいです。

 

なんで嬉しいかって?

 

だって、ほら、ご存知の通り、僕は“真面目”ですから。

 

それでは。もんもん。