大島優子さんの卒業と死生観

AKB48大島優子さんが昨日、卒業を発表しましたね。

AKB大島優子、紅白で卒業発表 (オリコン) - Yahoo!ニュース

 

彼女は、僕と同い年ということもあって、ここ数年応援してきたのですが、リアルタイムで卒業発表に遭遇したときは、さすがに衝撃が走りました。

 

さて、AKBの卒業ソングとして有名なものに、『10年桜』という曲があります。

 

 

MV撮影は、AKB48のMVやドキュメンタリー映画で監督を務める高橋栄樹監督監督がしたのですが、監督は次のような考えを述べているそうです(Quick Japanという雑誌でのインタヴューらしいです)。

 

入学とは誕生で、卒業とは死。もちろんその『死』は次のステージでの『誕生』を意味する『再生』でもある。そういうことを象徴的に教えてくれるのが『桜』なんじゃないか、もしかすると学校って生と死のサイクルを擬似的に体験する場所じゃないか、っていうね。

 

卒業とは、死。

大島優子さんの卒業発表を受け、「死」について、ちょっと考えてみました。

 

死とは、ネガティブなもの

 「人はいつ死ぬか分からない。だから、一日一日を後悔の無いように生きよう」

 

これ、たまに聞く意見だと思うんですが、僕はぴんと来ないんです。

もちろんそれは、僕の想像力が欠如していることが原因ではありますが、どうも「どうせ死ぬんだから、頑張って生きる必要なんてない」という意見と矛盾せずに成り立ってしまうのではないかと僕は思ってしまうのです。

 

つまり、“死”をネガティブなイメージで捉えて、いつネガティブな状態(=死)になるか分からないから、日々ポジティブに生きよう、そんな意見だと感じます。

でも逆に、いつか必ずネガティブになるんだから、日々ネガティブでも問題ないでしょうとも考えうる。

 

僕は、やっぱり死はネガティブなものではない、そう考えたいんです。

 

卒業とは、ポジティブなもの

さて、みなさん、高校や大学に入学する目的はなんですか?

卒業するためですよね。

 

では、なぜ卒業することが目的なのですか?

卒業することで次のステップに進める気がするためですよね。

 

とすれば、卒業って、基本的にポジティブなものですよね。

もちろん仲間と別々の進路を歩むこともあります。後輩との別れも待っています。卒業後、独立して生きていくことに不安を感じることもあるでしょう。

しかし、それらの寂しさ、辛さを余裕で超えるポジティブな意味合いが卒業にはありますよね。

 

卒業する者の表情は、いつだって清々しいのです。

 

死とは、ポジティブなもの

ここで再び思い出してください。

入学とは、生。

卒業とは、死。

 

入学するのが卒業を目的とするのならば、僕たちが生まれてきたのは、死ぬことを目的としているんじゃないか、こういうことは言えませんかね?

そして、なぜ死ぬのかに関しては、死ぬことによって次のステップに進めるから、こういう理解になります。

 

卒業がポジティブなものだとすれば、死だってポジティブなはずです。

 

死を考えて、どう生きるか

「人はいつ死ぬか分からない。だから、一日一日を後悔の無いように生きよう」

 

この言葉を、死をポジティブなイメージで再解釈した場合、たぶんこうなります。

 

死は、ポジティブなものだ。

死を、さらに清々しく輝かしいものにするためには、ポジティブな生を積み重ねていく必要がある。死はポジティブなものである以上、ポジティブな生の延長であって、生の断絶ではない。生を受けた以上、より良い死に向かって、一本の矢印を伸ばし、死の後もそれが続いてくかのように、ポジティブなものを淡々と積み重ねて行こう。

 

清々しい卒業を迎えるために、もしくは仲間の卒業を清々しく迎えられるために、僕たちができることは何でしょうか。

 

最後に名言を。もんもん。

 

『このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ』―レオナルド・ダ・ヴィンチ