大島優子にとって、『センター』とは何か

「この場をお借りして言いたいことがあります。私、大島優子AKB48を卒業します。」

 

 場内でのどよめきをよそに、彼女*1が最後の紅白歌合戦で、歌い、踊った曲は、自身がセンターを務める「ヘビーローテーション」。同曲は、「ヘビロテ」の愛称で親しまれ、カラオケランキングでも常に上位に位置するAKBの代表曲のひとつです。

しかし、デビューした2006年から今に至るAKB48過去34曲のシングル表題曲の中で、彼女が単独でセンターとなった曲は、「ヘビロテ」を含むたった2曲しかないという事実は、あまり知られていないかもしれません*2

 

AKBメンバーの多くは、「センターに立ちたい」と強く願いながら活動しています。

そして、尊敬するメンバーといえば大島優子を挙げ、「大島優子さんのようになることが目標です」と言うメンバーが多くいます*3

 

なぜでしょうか。

先ほど述べたように、彼女はセンターを任されてきた人物ではありません。これはメンバーの中でも共通認識のはずです。にもかかわらず、なぜ、彼女はセンターを目指すメンバーの目標となりうるのでしょうか。

 

その答えは、彼女の持つ「センター論」*4にあるのかもしれません。

 しかし、それは紆余曲折を経て、今に至ったものなのです。

  

2011年「センター」は、「本当に重い」

大島優子は、最後まで毅然とした表情で、舞台を後にした。 

大島は選抜総選挙2位というプレートを小脇に抱えながら、舞台裏でひとり、薄暗い壁際にいた。すぐに篠田麻里子小嶋陽菜が、そばにやって来る。篠田が大島に「お疲れ」とひと声かけるも、大島は目を合わせずにそっけなく「お疲れ」と返事をするのみだ。

しかし、大島と篠田の目が合い、篠田の手がそっと大島の背中に触れた瞬間、大島の中で何かが溢れ出した。大島の表情はみるみる崩れていき、そのまま篠田の胸に飛び込み、顔をうずめる。そして、声を上げ、肩を震わせて号泣しはじめた。大島をしっかり抱えながら、篠田もこらえきれず一緒に涙をこぼす。

大島の右手には、2位のプレートが固く握られたままだった*5

 

2011年5月24日、日本武道館で行われたAKB48 22ndシングル選抜総選挙

2位として名前が呼ばれた大島は、昨今のCD買占め批判に対し「私たちにとって、票数というのは、みなさんの愛です。」と言い切り、「たくさんの愛を、ありがとうございました。」と、明るい笑顔でスピーチを締めくくった。1位が決定し泣き崩れる前田とは対照的に、その表情は実に清々しく、最後まで毅然とした印象を観客に与えた。

しかし、その舞台裏で大島は、泣き崩れていた。

 

後に大島は、当時の事について「自分の順位に対して、シビアだと思ったことはない」としつつも、やはり、1位になれなかったことが「実際はかなりショックだった」と語る*6

そこでの感情は、「全部思いました。悔しい、悲しい。驚きもそうだし。」とのことで、舞台上では毅然と見えたものの、舞台裏に下がってから篠田の胸で号泣したのも頷ける。

 

さらに、1位になった前田敦子については、こう述べている。

「彼女は、すごく大変だと思います。いままでずーっとセンターでやってきてるっていうのが、本当に重いと思うんですよね。…今まで1位で、総選挙がないときもセンターやったりしてたから、それの責任もあるし、自負もあるだろうし、それが変わったってなると、周りの環境も少し変わるだろうし、自分の中でも自分と戦わなきゃいけない部分がたくさんあったと思うから。*7

 

これは、あくまで前田について言及したものである。

しかし、大島は同時に「私も2位をとってしばらくしてからは、すっごい楽になりました。羽が伸びたなって思いましたね。本当に羽根ってあるんだって思いました。ずっときゅっとここらへんまでしか開かなかったのが、一気にうわー伸びたーみたいな感じになったんで、楽になりましたね。」とも述べている。

「ヘビロテ」当時、自らが総選挙で1位になったことによる重責、センターの重責をずっしりと背中に感じていたことが伺われる。

 

2011年の段階で、大島が抱くセンターのイメージは、「本当に重い」、「責任」、「自負」、「自分と戦わなきゃいけない」などの重苦しい言葉で形容されるものであったのである。

 

2012年「センター」は、「空中に存在する」

「本当に、この景色をもう一度見たかったんです。本当にありがとうございます。」

1位として名前が呼ばれた大島は、出馬を辞退していた昨年1位の前田敦子と熱い抱擁を交わしたあと、行く筋もの涙を流しながらも、本当に嬉しそうな笑顔で、そうスピーチした。

 

2012年5月22日、再び日本武道館で行われたAKB48 27thシングル選抜総選挙

大島のスピーチは、再びセンターに立てて嬉しい、1位になれて嬉しい、素直に考えればそのような意味だと捉えられる。しかし、舞台裏で大島は、2位になり「来年は1位を取りたい。センターにふさわしい人になりたい。」と野心むき出しのスピーチをした渡辺麻友に対し、意外な声をかけている。

 

大島「君が次期センターだから。とりあえず私が頑張りますけど、踏み台にして下さい。」 

渡辺「私も、(優子さんのことを)支えながら頑張ります。」

大島「ううん、自分の事だけ、自分の事だけ考えればいいからー」

 

大島は、後に、この発言についてこう述べている。

「今、センターをやらせてもらえるのであれば、やっていたいです。麻友か誰かが奪い獲ってくれるまでは、ちゃんと務めるよと。でも、いつでもセンターを外れていいとも思っているし、私はどこにいても全然いいんです。どこでも自分らしくいられる自信はあるので。*8

 

「踏み台にして」とか、「私はどこにいても全然いい」とか。

 大島がもう一度見たかった「この景色」とは、「本当に重い」と語った「AKB48のセンター」という景色ではなかったということなのだろうか。 

 

一応確認だが、大島には、誰よりもセンターに対する憧れがあったはずだ。

 

話はさかのぼる。大島は7歳から子役として芸能活動をスタートしている。しかし、年齢が上になるにつれ、オーディションには通らなくなった。

「30人から10人をごそっと選ぶというようなときはたいてい受かるんですよ。だけど、最後の2人からどっちかを選ぶということになると、なぜかいつも落ちちゃうよなって…。」「だから聞いたんです。私はどうして選ばれなかったんでしょうかって。そしたら『雰囲気かな…』。ああ、また『雰囲気』かと。同じようなことをよく言われてきたから…。」

17歳でAKBに入ってからも苦悩は続く。秋元康から「優子は何でもできるから、伸びしろが見えにくい」と言われ、中々認めてもらえない。20歳の節目、2008年10月発売のシングル曲「大声ダイヤモンド」では、センターからほど遠い、まさかの3列目というポジションで、ほとんどPVに映っていないこともあった。2010年、総選挙で1位になった後も、まるでそれが嘘だったかのように次の曲から前田がセンターを務めた。

「自分はセンターではない、というどうしようもない事実が、私の心の中に厚い雲となって現れました。『なんで?』『どうして?』『だって』『しょうがない』、そんな言葉で、その雲を少しでも軽くしようとしたんです。*9

 

 自分の手の届くぎりぎりにあって、努力して努力して自分では届いたと思っても、届いていない。センターは「本当に重い」ものであるとしても、憧れは募るばかりであっただろう。

 

そんな大島は、次のようなのセンター論を語るに至っている。 

「私にとってセンターというのは、それぞれのポジションがあって、そこに向けられたスポットライトがたまたまそのメンバーを指したというか。センター自体もすごく動いているように思えますね。空中に存在するというか、立ったポジションに(スポットライトが)当てられた状況が、センターなのかなと思います。*10

 

「本当に重い」ものであり、かつ、他者との比較の上でしか成り立たないはずの「センター」という概念。大島は、いつしかそこから解放され、「センターは、空中に存在する」、「立ったポジションが、センターである」といった実に軽やかで柔軟な考えを持つに至ったのである。

 

この心境の変化は、「不動のセンター」であり続けた前田の卒業が大きく関係している。

大島にとって、前田は「一番のライバルだった」。しかし、前田は卒業した。「そのライバルがいなくなるってことが私にとっては、じゃあ何をライバルとして過ごせばいいというか、活動していけばいいのかっていうことで、ぽっかり穴が開いたような感じがしました。*11

以前、2011年の総選挙で1位になったとき、大島は「AKB48のセンター」として前田の代わりに自分がそこに立っているのだと気負っていたのかもしれない。だからこそ、「本当に重い」と感じたのだろう。

そして、前田が卒業したことで、自分を見つめなおす機会を得たのか、大島は「総選挙で再び1位になったことで、前田が背負っていたものを今度は大島が実感しているか」という質問に対して、「それはまた別ですね。あっちゃんの背負っていたものはあっちゃんにしかないし、今の私が背負っているものも私にしかない。誰かの代わりには誰もなれないと思います。」と述べるに至っている*12

 

2012年、大島が抱くセンターのイメージは大きく変わった。

「センターは、空中に存在する」、「立ったポジションが、センターである」、「誰かの代わりには誰もなれない」などと述べ、さらには「どこでも自分らしくいられる自信はある」と言い切る。

前田という最大のライバルとの比較から解放されたことによって、軽やかなセンター論を持つに至ったのである。

  

 2013年「センター」は、「曲のイメージになる人」

2013年6月8日、日産スタジアムで行われた、AKB48 32ndシングル選抜総選挙

大島は、2位として呼ばれた。指原莉乃の1位が決定し、周りの誰もが驚く中、開口一番、「涙のひとつも出ない、この感覚。何でしょうかね。」と笑顔でスピーチを始めた。

和やかな雰囲気のままスピーチは終わると、司会の徳光さんから「あなた今とっても穏やかですね」と言われ、「今回、ほんとに緊張してなくって、プレッシャーとかもなくって。というのは、AKBのために何が一番かって考えたら、私がセンターにならないことも、きっとAKBのためには良いんだろうなという風に思っていたので、そう思うと、すごく穏やかな気持ちでいられます。」と答えている。

 

総選挙後のインタヴューで、大島はこう振り返る。

「1位にこだわらなかったのは、次世代に自分の席を明け渡す覚悟ができていたからだと思います。総選挙のスピーチでは指原を冗談でいじりましたが、彼女ががんばっていたのはわかっていました。」

「センターは曲のイメージになる人。指原は指原のイメージで曲が生まれ、AKBの曲になる。私がセンターを務めた「ヘビーローテーション」の「1!2!3!4!」のフレーズはまさに私のイメージで作られました。指原にも楽しんで欲しいですね。」

「指原はすごく緊張やプレッシャーを感じています。それは私もよくわかる。隣りにいる分、サポートするので、その代わり、自分を殺さず、自分らしくいて欲しいと思っています。*13

 

「センターは、曲のイメージになる人。」

至極真っ当で、誰もが思いつく言葉。しかし、不動のセンター前田と自分を比較し続け、人一倍センターへの思い入れが強かった大島が、そこから解放され、さらに普通で普遍的な「センター論」を紡ぎだすには、実に3年がかかったのである。大島にとって、いかに前田の存在が大きかったかがわかる*14

 

 センター論の変遷とヘーゲルの幸福論

2011年は、センターは「本当に重い」と重苦しく。

2012年は、センターは「空中に存在する」と軽やかに。

2013年は、センターは「曲のイメージになる人」と普通に。

 

大島優子のセンター論の変遷を見てきましたが、ここからは僕のかなり勝手な意味付け(こじ付けとも言う)と考察に入ります。参考にするのは、ヘーゲルの『精神現象学』です*15

 

ヘーゲルによれば、人間には自由の欲求と承認の欲求があり、それらはともに自己の幸福に貢献するものでありながら、しばしば衝突し、相反することがあるとのことです。つまり、自由を追求することは、自分の信念を通すことであり、孤独を生み、承認欲求が満たされないという事態が起きる場合がある。一方で、承認欲求を満たそうとするあまり、自我を表明することをせず、自由の欲求が満たされない事態が起きる場合がある、とのことです。

 

自由の欲求と承認の欲求、相反することもありますが、これらを同時に満たす方法を人間は考えます。2つの欲求を同時に満たすため、まず人は「生死をかけた戦い」をするそうです。これは、喧嘩とか競争とかと同義です。競争に勝った人は、自分の自由にできるし、周りからの承認も得られる。最高に幸福な瞬間です。

しかし、全ての競争に勝てる人はいません。次第に、人は「競争から降りる」ことを選び始めます。それは周りからの承認を諦め、自分で自分を承認することです。自分で自分の世界を肯定することによって、自由と承認を得るのです。

ですが、これも長続きはしません。人はひとりでは生きていけないからです。自己を表現するなかで派生的に生じる他者からの批判と承認を拒否せず、自己の表現に磨きをかけながら普遍的な価値を追求していくのです。

 

つまり、ヘーゲルによれば、自由の欲求と承認の欲求を満たし、幸福を目指すために、意識の段階には、①競争、②自己承認、③普遍的価値の追及の3つがあるとのことです。

 

さあ、ここで大島優子のセンター論に戻りましょう。

 

2011年、彼女は選抜総選挙前田敦子に敗れ、2位になります。そのときの彼女にとって、センターとは「本当に重い」ものでした。言い換えると、この段階の彼女は、選抜総選挙で「生死をかけた戦い」をしていたといえます。競争に真っ向から挑み、敗れていった。①競争の段階で、大きくつまづいてしまったことは、さぞ、辛い経験だったことでしょう。

 

2012年、彼女は自分を前田との比較によって捉えることをやめ、「センターとは、自分が立ったポジション」だと言います。前田との競争から解放され、とことん自分で自分を認めてあげる段階に入っています。②自己承認の段階で、彼女は総選挙1位に返り咲きます。彼女がもう一度見たかった「この景色」というのは、「AKB48のセンター」にこだわったものではなく、あくまでヘビロテのセンターをしたときのように“大島優子らしい”と自分で思える承認の場を自らの手で掴むことだったのではないでしょうか。

 

2013年、彼女は、普通のことを言います。センターは「曲のイメージになる人」であると。「指原は指原のイメージで曲が生まれる」、「指原にも楽しんで欲しい」、「指原には、自分を殺さず、自分らしくいて欲しい」と指原にエールを送ります。そして、「AKBのために何が一番かって考えたら、私がセンターにならないことも、きっとAKBのためには良いんだろうな」と、何の憂いもなく笑顔で言っています。自分の大好きなAKB48が今後もずっと発展していくために、どうすればよいのかを考え、追及する姿勢、これはAKB48で自分の自由を追求しながらも、普遍的なAKB48の価値を追求するものといえます。指原センターについての周りからの批判と承認を、自分も受けてたつ覚悟であるともいえます。まさに③普遍的価値の追求段階であり、だからこそ、センターのイメージについて普通で、普遍的な説明をしたのです。

 

こうして見てみると、2011年、2012年、2013年と、彼女の中でセンターのイメージが更新されるたびに、意識の段階が上がっていることがわかります。

 

まとめ

AKBメンバーの多くが大島優子を目標とする理由、それはきっと数えたらキリがないと思います。努力を惜しまない姿勢、トップレベルのパフォーマンス、精神的なタフさ、周りを楽しませることへの執着、見た目の可愛さや人懐っこさなどなど…。

 

ですが、無謀にも僕は、結論付けようと思います。

 

“本気で自分の幸せを追及する姿勢”

 

この一言に尽きるのではないかと。

 

大島優子にとって、「センター」とは何か*16

それを追っていく中で、彼女が意識の段階を上げていくさまが見て取れました。

もしかしたら、それは、本気で競争をして敗れた者にしか登れないものなのかもしれません。本気で自分を認めてあげた者にしか登れないものなのかもしれません。本気で普遍的価値を追求するものにしか見えてこないものなのかもしれません。

もし仮に、意識の段階を上がることが容易でないのだとしたら、それは“本気で自分の幸せを追及する姿勢”によってしか実現できないのかもしれません。

彼女は、誰よりも、自分が選ばれた人間ではないことを知っています。だからこそ、泥臭く、人間臭く、本気で努力する*17

そんな“本気で自分の幸せを追及する姿勢”を貫く彼女にメンバーは魅力を感じ、目標とするのではないでしょうか。

 

2014年、大島優子にとって、「センター」とは何か。

AKB48を卒業し、どのような「センター」への道を歩み始めるのか、早くも気になるところです。

 

それでは。もんもん。

************************************************************

追記(2014-02-08) 

あとがき

にて、この記事を書くに至った過程とちょっとした続きを書きました。

************************************************************

追記(2014-07-28)

大島優子が「仲間のため」にしてきたこと、それは"自己犠牲"だったのか?

にて、「本気で自分の幸せを追及する姿勢」について詳述しました!そちらもご参照いただけると嬉しいです。

 

  

 ⇒ Kindle版  ⇒ Kindle版

*1:以下、大島優子さんをはじめ、敬称略。

*2:もうひとつの大島センターの曲は、2012年8月「ギンガムチェック」。他にも一応大島がセンターを務めたものに、2012年10月「UZA」と、2013年5月「さよならクロール」がある。しかし、「UZA」はダブルセンターであるし、最初は渡辺麻友松井珠理奈がセンターの予定だったが、AKB史上最高難度のダンスと言われる同曲に渡辺では不適となり、大島が渡辺の代わりに入ったにすぎない(映画『DOCUMENTARY of AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』(2013))。「さよならー」に至っては、渡辺麻友島崎遥香大島優子板野友美の4人がセンターであり、もはやセンターとの言葉を使う場面とは言い難い。

*3:例えば、若手メンバー12人に対し、「センターになりたい人はいる?」と質問をすれば、全員が手を挙げる(前記『DOCUMENTARYー』(2013))。また、「一番尊敬しているメンバーは?」とのアンケートに対し、メンバー71名中23名が大島優子を挙げている。2番目に多いのは10名の高橋みなみであり、それと比べても圧倒的な多さである(ENTAME 2014年2月号)。2013年10月20日放送の情熱大陸でも、AKB48研究生・湯本亜美が大島に対し、「私、大島さんに憧れてるんですよ。」と言っている。対する大島は、湯本が言い終わる前に「正解。」と即答し、照れ隠しをしている。

*4:センターについて抱いている印象という意味合いで、センター観という言葉を使った方が正しいのでしょうが、この記事では「センター論」という言葉を使っています。なんとなく。

*5:映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(2012)より

*6:前記『DOCUMENTARYー』(2012)密着ロングインタヴューより

*7:デビューしてからずっとセンターを張り、さらに総選挙で大島に負けた後もセンターを任され続けた前田の苦悩は相当なものであったことは、決して推察し難いものではない。大島は、常に前田の横で、前田が背負うセンターの重みを見てきたということだろう。実際に、2006年「会いたかった」に始まり、2010年5月「ポニーテールとシュシュ」に至る実に16曲のシングル曲は、全て前田がセンターである。同年8月「ヘビーローテーション」は、総選挙の結果を反映し、大島がセンターであるが、前田が総選挙2位になった後も、2011年の総選挙で再び前田が1位になるまでに出た通常のシングル3曲、2010年10月「Beginner」、2011年2月「桜の木になろう」、同年5月「Everyday、カチューシャ」は前田センターである。

*8:ORICON STYLE 2013年2月6日「大島優子 SPECIAL INTERVIEW 悔しさも悲しさも寂しさも…いろいろな涙を見た」より

*9:大島優子 1stフォトブック 優子』(2011)より

*10:芸能ニュースラウンジ 2013年1月22日「大島優子AKB48センターのイメージを語る!板野友美は「何回も泣きました」」より

*11:前記『DOCUMENTARYー』(2013)より

*12:前記ORICON記事

*13:朝日デジタル 2013年6月21日「(AKB的人生論)大島優子 殻にこもらず、自分磨いて」より

*14:ちなみに、2012年の総選挙で1位になった大島のスピーチ途中に卒業を発表していた前田が登場したことについて、批評家の宇野常寛氏は「あの絶妙なタイミングで登場してきたときに、裏主役として完全に持っていきましたよね。1年前には、あそこまで神格化はされていなかった。卒業を表明したことで、AKBは前田敦子という妖怪を生み出したように思います。」と語っている(『AKB48白熱論争』(2012))。さらに、批評家の濱野智史氏は『前田敦子はキリストを超えた―〈宗教〉としてのAKB48』(2012)という本を書いている。タイトルの通り、前田敦子がすごいことになっている。どちらの本も最強に面白かったので、是非参照されたい。

*15:正確に言うと、一昨日見た番組『100分 de 幸福論』でされていた東京医科大学西研教授の『精神現象学』の解説を参考にしています。メモってたわけでもないので、記憶は曖昧です。特に専門用語っぽいところ。

*16:このタイトルは、てれびのスキマさんの記事「タモリにとって「偽善」とは何か | Matogrosso」等のタモリ学シリーズのパロディーです。大いに参考にさせていただきました。

*17:情熱大陸では、東京ドーム4日目に、多くの同期が卒業し、精神的にも肉体的にも消耗しきった中、点滴をし、ステージ上では全く疲れを感じさせないパフォーマンスであった様子が描かれている。同番組に出演した2013年10月20日当時、彼女が、250人しか入れない秋葉原のAKB劇場のステージに立つのは、531回目だった。また、「同じように努力したら、誰でも大島優子になれるだろうか」との質問に対し、「なれますね。ただし、同じ努力は簡単には出来ないと思うけど。」と即答したらしい。なお、これに対し「ウソつくな」と思わずツッコミを入れてしまったという編集者の今井雄紀氏の記事「大島優子が、情熱大陸でついたウソ - エディターズダイアリー | ジセダイ」も参照のこと。