僕らのヲタ卒

僕は、ヲタをやめる。

これが本当だとしたら、僕にとってかなり衝撃的です。

なぜなら昨今の僕のことを形容する上でもっとも適切な言葉は、“AKBヲタ”以外ありえず、この肩書を僕から外してしまうことは、AKBの(周りから見ればかなり熱狂的な)ファンというキャラとして過ごしてきた3年半を自ら思い出箱という名の金属の箱に封じ込め、押入れの奥深くにしまうようなことなのですから。みなさんが思う以上に、“AKBヲタであること”は、僕のアイデンティティのかなりを占めているんです。そしてその事実に自分自身驚いている一面もあったりします。

 

しかし、3年半応援してきた大島優子さんが卒業してしまった今、ちょっと前までは全く考えも及ばなかった“ヲタ卒”も現実味を帯びてきました。

 

 そもそもなぜヲタになったのか

そもそも、なぜ僕はAKBヲタになったのか。

ももクロでもなく、でんぱ組でもなく、℃-uteでもなく、なぜAKBだったのか。

ちなみに全く関係ないけど、僕は中学生のころモー娘。矢口真里さんが好きでしたけどね。

 

僕がなぜAKBヲタになったのかの答え、それは“たまたま”です。

それは2010年、大島優子が初のセンターを奪取し、ヘビロテが発売された後の夏。たまたま仲の良い友人がAKBのファンになったばかりで、僕にその話を熱心にしてきたり(もちろん当時僕は無関心)、秋にはたまたまうちの大学の学園祭にAKBが来たり(相変わらず無関心)、年末にはAKBが出ていた紅白をたまたま僕が見ていたりしていて(覚えていないけど多分見たんだと思う)。

そして、訪れたのです、2010-2011の年末年始が。僕は年末年始はいつも友人などと予定はいれず(というか毎年断ってたら地元の友達からついに誘われなくなった)家族とぐーたら過ごしています。僕は暇でした。その時、僕は今世紀最大の時間泥棒であるYouTubeなるものにその身ごと没入してしまい、初めて『ヘビーローテーション』のPVを見たのだと思います。その時の衝撃というものは、今ではもう全く忘れました。何も覚えていない。でもすごいインパクトだったのでしょう。ひたすら右側に出る「関連動画」を見まくっていた記憶だけはあります。

 

要はAKBに関する情報を提供するものがたまたま揃っていて、自分がたまたま暇でそれに大量の時間アクセスしていたから、AKBヲタになったということなんですよね。特に理由なんてない。僕は、年末年始、暇で退屈していた、それだけです。

 

退屈の反対にあるもの

イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルは、こう述べたそうです。

「退屈の反対は快楽ではなく、興奮である」。退屈している人が求めているのは、楽しいことではなくて、興奮できることである。人は、昨日と今日を区別できる事件を求めているに過ぎない、ということのようです。

 

暇で退屈していた僕は、AKBというものに出会い、興奮を覚え、その興奮を再び得たいがためにAKBにアクセスして、知らぬ間にハマってしまったというわけですな。

  

さて、人生の中で一番興奮する場面、それはいつだと思いますか?

興奮という言葉は、心を揺さぶるとか、強烈な感情が押し寄せてくるといった感覚とだいたい同義と考えてください。

僕は、“生と死”ほど、人の心を揺さぶるものはないと思っています。自分が唯一みんなと同じく経験してきたものが生であって、唯一みんなと同じく経験するであろうものが死である以上、そのリアリティが目の前に迫ってきたとき、人は良くも悪くも心を鷲掴みにされて、知らぬ間に声を荒げ、涙をこぼすのではないでしょうか。

 

“生と死”とは、生まれるとか死ぬという意味でなくても、構いません。

例えば、好きな子に告白をしてOKをもらったときのこと、忘れられませんよね?あのときのドキドキとOKをもらったあとの喜びは、普段の感情の振れ幅を大きく上回る興奮があります。これは、そこから二人の関係が始まったという意味で、“生”であるといえます。

 

逆もしかり。別れや終わりは、“死”であるといえます。

誰もが経験する別れの代表格と言えば、卒業でしょう。

そうです、卒業は悲しくて、寂しくて、でも晴れやかで、希望に満ちているからこそ、感動するのです(参照:大島優子さんの卒業と死生観)。

 

大島優子さんのAKB卒業

そして、先日、味の素スタジアムにて大島優子さんの“死”に直面した僕は、それはそれは感動し、興奮し、人目をはばからずボロボロと泣きました。隣にいた友達も「しょっぱなから泣き過ぎじゃない?」と若干引いていました。

夢のような最高のステージを見てしまった僕は、急激に醒めていきます。“死”という一番心揺さぶられるイベントに参加してしまった僕は、それ以上の感動を得られる場面はもう訪れないのではないかと思ったのです。  その後、数日間は無気力な生活を送るくらい色々と醒めていました。

昔のPVを見たのも、単に自分に作業を課したも同然であって、そこに興奮や新鮮な驚きなどないのです。完全に醒めてしまったわけです。

 

AKBからはもう興奮を得られない。

とすれば、僕に残された道はひとつしかない。そう、ヲタ卒です。

 

退屈した僕らは

ですが、みなさん、考えても見てください。みなさんがいう「趣味」とか「好きなこと」って、別に興奮を得られるから好きなわけではないですよね?もちろん興奮を得られれば嬉しいけど、興奮を得るためだけに好きなことを見たり、実際にやってみたりするわけではありませんよね?

興奮とは、今日と昨日を区別してくれる事件によって導かれるものです。他人の不幸であっても興奮は得られる以上、興奮を得るために行動することは、行きすぎれば何かしら“死”を望むことに繋がりかねません。そのような状態は全く健全とはいえないですよね。

むしろ、興奮を得られない退屈の中で、趣味という名の気晴らしに興じながら生きていく方がよっぽど健全です。たまに新しい刺激を受け、「お、何か面白いぞ」「何なんだこれは!」「どうしてこうなってるのだろう」などと色々と感じ、考えを巡らせる。共通の趣味を持った友人と話に花を咲かせる。実際にやってみる。そうやって気晴らしを続けていく。

そしてまた退屈が訪れる。終わらない気晴らしに興じながら、日々過ごしていく。

 

僕の場合も同じです。

今後、大島優子さんの卒業セレモニー以上の興奮を得られることはなくても、きっとまだ「この子にはこんな一面があったのか」「秋元康また変な曲書いたな」「アイドルヲタって何考えてるんだろう」などと色々と感じ、考えを巡らせることでしょう。

何よりこうしたブログ記事を書いている時点で、僕の興味はまだAKBに向かっていることがわかるわけです。今は結構暇があるのでライブにも足を運びたいし、“大島優子後の世界”も見てみたい。大島優子さんに関しても、まだ書きたいことが残っています。

 

暇で退屈していた僕は、AKBから興奮を得た。そしてファンになった。でも興奮を得られなくなっても、僕の人生は続くし、気晴らしには終わりがない。

だから、AKBからの新しい刺激に対して僕が何か感じ、考えることをしなくなったとき、そのときこそ、ヲタ卒のときなのです。

このツイートの表現に従えば、AKBからの刺激に反応し希望を見出していた人も、そのうちに他の世界からの刺激に対し何らかの感情を抱き、考えることをはじめ、希望を見出すことになるのでしょう。

AKBよりも楽しい気晴らしを見つけてしまったのですから、ヲタ卒をすることになる。そして、そのときは知らぬ間に訪れて、気づいたら思い出となって自分の記憶のひとつとなっているのでしょう。

 

おわりに

取り留めのない文章を書いてきました。

ちょっと前に僕は「優子卒業したし、もう完全にヲタ卒する」と周りに言っていました。たしかに数日間は喪失感にさいなまれて、ああ、これでヲタ卒かぁと遠い目をしながら考えていました。ですが、その次の週には「え?今週難波の劇場公演行くの?全然ヲタ卒してないじゃんww」とツッコミをもらいまくる状態に戻っていたので、ちょっとヲタ卒について考えみた、というわけです。

そのとき大いに参考にさせて頂いたのが、『暇と退屈の倫理学』という哲学者の國分功一郎さんが書いた本です。面白い本なのでぜひ。

ちなみに退屈論に似たものは、以前「僕たちの平凡な日常とAKB48に、共通点なんてある?」でも書いていますが、だいぶ趣は異なっています。 

 

さて、最初にAKBについて教えてくれた僕の友人は今どうなっているかといいますと、実はとっくにヲタ卒しています。単なる在宅ヲタ(現場には足を運ばずに家で映像やニュースだけをチェックするタイプのヲタ)だったので、ヲタ卒が早いのも納得ではあります。ヲタ卒していた彼ではありますが、大島優子さんの卒業セレモニーを翌日に控えた(そして翌日のライブは大雨で中止になった)国立競技場でのライブに彼を引っ張り出して、一緒に見に行きました。それなりに楽しそうにしていたので、引っ張り出して良かったなと勝手に思っています。

 

で、そいつは、握手会についてこんなことを言っていました。

「握手会なんかいったら、完全にアイドルとヲタの関係になってしまう。俺は将来大島優子と普通に友人関係を持てるようになりたいんだ。だから握手会には絶対に行かない」

…ヲタってバカですよねぇ、ほんと(笑)。。

ちなみに大島優子さんは情熱大陸で「握手会はアイドルとファンという関係ではない。ひととひとの触れ合いなんです」と言っていました。でも、まぁ僕も基本的には彼の意見には賛同していたので、結局握手会に行かないまま3年半が過ぎて、握手会の開催自体危ぶまれるところまで来ちゃいました*1

 

そんなこんなで、僕はこういう愛すべきバカがたくさんいるヲタの一員として、もう少しヲタ活を続けていこうと思っています。

そして、いつかヲタ卒したときにこの記事を振り返って、「あぁ、バカだなぁ」と感じながら、新しい気晴らしに興じて生きていければな、なんて思っています。

 

「人生は、死ぬまでの暇つぶし」とは本当によくいったものですな。全然知らなかったんですけど、これみうらじゅんさんの言葉らしいですね。

 

それでは。もんもん。

 

*1:追記:その後7月6日、事件後2回目の握手会が開かれましたので、初めて握手会なるものに行ってきました。NMB48山本彩さんと握手。可愛すぎて悶絶した。うおおおおおお