「やりたいことがわからない」けど明日も日は昇る

僕が最後に書いたAKB48論まとめにおいて、「好きを知る」が出発点だと書きました(山本彩さんのことを語って最後にしようと思うーAKB48論まとめ)。でも結局自分が何が好きで、そして何がやりたいのか、さっぱりわからなかったので、その原因と対策について考えてみました。

 

原因その一:隣の芝が青い

先進国に住む僕たちの目の前には、あまりにも多くの選択肢が提示されています。しかも大人は「何にでもなれるよ」と嘘をつく。まして今はネットの時代。その選択肢に関する情報が容易に手に入ってしまうため、ちょっと努力すればそこまで到達できるかのような錯覚に陥りがち。

あれもできる、これにもなれると、いつも隣の芝が青々しているように感じてしまい、自分のやっていることに価値を見いだせない。そして思うのです、「これは私がやりたかったことじゃない」「私、本当はなにがやりたいんだろ」と。

僕も正直いってこの状態によく陥るんですけど、まぁでもこういう人は中川氏の『夢、死ね!』あたりの刺激的な本とか読んだほうが良いでしょうな。自己実現とかほんとうんこ味のカレー召し上がれ!

 

原因その二:自分で考える習慣がない

厚切りジェイソン氏の意見です。

厚切りジェイソン氏の意見は結局「自分で考えて決断しろ」というふうに読め、そうだとするならば原因というより対策に近い気がします。

やりたいことがわからないとき、その状態を断ち切るのに有用なのは自分で考えて自分で決めることなのでしょう。隣の芝が青い状態から、自分の芝の手入れに注力するわけです。

ただ厳密にいれば、これはやりたいことを見つけるというより、単にやりたいことがわからないことを無視して忘れることですよね。すべきことを決断したからといってやりたいことが見つかるわけではないのです(決断についてはこちらも参考程度にどうぞ→夢の現在形進行形を、夢ingとでも呼びましょうか。)。

 

原因その三:難しすぎて簡単に選択肢から外している

堀江貴文氏の意見です。

「やりたいことがないんじゃなくて、やりたいことがあまりにも難しい目標過ぎて、絶対にできないと思って、簡単に選択肢から無くしている」

 まぁそのとおりですね。ロケット飛ばしたいならそれやればいいじゃん、そんでダメと分かったらすぐに損切りすればいいじゃん、と。

対談相手の岡田斗司夫氏は、それでも失敗するのが怖くて普通の人は挑戦できないし、そういう普通の人に対して挑戦しろということは出来ないと述べています。

岡田氏の意見ももっともで、失敗が怖いならぼんやりした夢なんぞさっさと諦めろと言ったほうがよほど親切です。例え諦めろと言われても、本当に夢がある人はそもそも勝手にやるだろうし(あきらめることについてはこちらも参考程度のどうぞ→あきらめることの本質と展望)。

夢を"諦めさせろ”、そして失敗へのケアなくして頑張れというのは酷じゃないのかというのは社会学者・古市憲寿氏が『希望難民ご一行様』にて言及しているとおりです(内容も文体も刺激的!〜古市憲寿『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』 - Yondaful Days!)。

 

原因その四:将来の損得勘定が先行してわけわかんなくなってしまう

最近呟いた僕の意見です。

ひとつの対策としては、将来の損得勘定には意味が無いこと、すなわち将来の自分は今の自分とは異なった価値判断を下す可能性が極めて高く、将来の自分にとって何が損で何が得かを今判断するのは無駄であること、これを知ること。以下のTEDトークが参考になります。

さらに大体の場合、昔の選択を後悔ことが多いんじゃないかなとも僕は思っています(「後悔することを後悔しない」覚悟、ありますか?)。

現在好きなミュージシャンが10年後に開くコンサートのために今いくら払うかと聞いたところ、そのチケット代の平均額は129ドルでしたそして10年前に好きだった人が今日演奏するのを見るのにいくら払うかと聞いたところ、答えはたったの80ドル。理屈どおりに行けば両者は同額になるはずですが私たちは不変性を多く見積るために現在の好みを満たす可能性にお金を出しすぎてしまうのです。

具体的な数字が出てきて面白い実験ですよね。

僕もまさに同じような体験をしています。このブログでも散々AKBについて語ってきましたが、一昨年、去年と僕はAKBのコンサートに10回は足を運びました。選抜総選挙で投票し、握手会にも行き、DVDボックス買ったり、写真集もたぶん10冊買ったんじゃないかなぁ。でも僕は、あえて自分のヲタ活を制限することをあまりしませんでした。なぜならこれは一過性のもので、かならず興味の有りどころが変わることを知っていた(というかそれを言い訳にしていた)からです。実際そのとおりになって、仮に僕がいま日本にいてAKBのコンサートに行きたいかと聞かれたら、全く行きたいと思わないと答えるでしょう。握手会だけはちょっと行きたいと思うけど笑

このTEDトークで、ダン・ギルバート氏は締めにこう述べています。

人生において変わらないのは 「変わる」ということだけなのです。

さて、上記は主観的な変化について自覚的であるべきと述べていますが、客観的な変化についてはどうでしょうか。

成長したければ、ひたすら変化すべし - Chikirinの日記

ブロガーであるちきりんさんのこの記事は、プロゲーマー・梅原大吾氏が『勝ち続ける意志力』にて言及した金言を元に書かれているわけですが、半端ない良記事です。堀江氏のいうようは夢を追いかけるのとはまた違った視点で、単純に客観的で目に見える変化こそ成長であると定義しそして成長を望むのであれば(失敗する恐怖より成長しない恐怖のほうが勝るのであれば)、「やりたいこと」を封印せずにもっとチャレンジできるようになるかもしれません。

以下のTEDトークはGoogleのエンジニアによるものですが、夢や成長、変化などと大げさに気負わなくても、やりたいと思ったらとりあえず30日間やってみるといいよと提案しています。

ひとつ気づいたのは困難な30日間チャレンジをやる中で自分に対する自信がついたということです。出不精のコンピュータオタクが楽しみのため会社に自転車で行くような人間へと変わったのです。去年などはアフリカの最高峰キリマンジャロに登りさえしました。 30日間チャレンジをやる前はまったく冒険するようなタイプではなかったのに。

 

原因その五:そもそも普通やりたいことなんてなくね?

チームラボ・猪子寿之氏の意見です。

やりたいことなんか見つからないですよ。見つからない、見つからない!

時代とともに必要なスキルってすごい勢いで変わっていくわけです。新しい時代で必要なスキルを学校が若い子に教育してくれたら、古い人たちはその新しいスキルを持ってないから(若い子が)必要がられるんですよ。そうすると適当な感じでも「やってやって」みたいな感じで仕事がいっぱい貰えるし、就職も受かるし。そのうちに社会に必要とされているから何か嬉しくなってきて、もう少しやろうかっていう感じで「この仕事もいいかな」と思ってくるっていう。何が言いたいかわからなくなってきたけど。

教育によって自分が本当にやりたいことを身につけるとか、そんなのはキレイごとで。もっと時代とともに変わっていく最新の必要なスキルを学校が教えてくれていれば、若い子は大人に「えーっ、それできんの!?」みたいな(やりたいことを見つける方法をチームラボ猪子氏語る - ログミー)。

今までは、自分にとってやりたいことをやるか、やらないかという話でしたが、猪子氏はぶっちゃけやりたいことなんてないのが普通なんだから、社会から必要とされることやればいいんじゃないの、そしたら自分が社会に対して提供したい価値も見えてくるんじゃないのということで、個人的にはこれが一番僕の肌感覚に合う(たぶんみんなもそうなんじゃないかな?)意見だと感じます。

猪子氏は他の記事でさらにこう語っています。

大学時代の友人たちと一緒に創業してから14年になりますが、僕は仲間がいなかったら、自分という「個」が現在のように社会に存在できなかったような気がします。

元々、指示を忘れずに守るといったビジネスマンの「当たり前」が苦手で、一人で就職していたら早い時期にはじかれていたでしょうね。その代わり僕に しかできない得意なこともはっきりとあり、ずっと一つの力になっている猪子 寿之が語る仕事―2│仕事力│朝日新聞ひろば~朝日新聞の読み方をナビゲート)。

 この人の生き方は知れば知るほどワンピースのルフィみたいだなと感じてしまうのですが(そして彼自身ワンピースが大好きのようですが)、これって実はみんな見落としがちな重要な視点を含んでいるのではないかなと。

みんな自分がやりたいことをいかに実現するかばかり考えていて、自分という「個」が社会の中でしか成立し得ないという前提を忘れている気がします。まさに平野啓一郎氏が『私とは何か』で言及した分人主義の考え方で、本当の「個」など存在せず、自分とはあくまで社会との関係で規定されるものの集合でしかない(「自分にしかできないこと」幻想のウソとホント)。

だとしたら、社会から求められることをやるのが唯一の自己の存在証明(そして結果的にそれがやりたいことになる、もしくはやりたいことがやれる状態まで押し上げてくれる)方法じゃないかなと。僕も以前、指原莉乃さんを例にして同じようなことに言及しています(僕が指原莉乃さんを“怪物”と呼んだわけ)。

ただ注意点として知っておくべきなのは、自分の能力を発揮できる分野であることが大前提で(それを知るのが難しいんですけど)、供給が少ない一方で需要が高い分野であればなおさら良いということが前提となります。一言で言えば、勝てるところで勝負する、でしょうか(林修さん-プロ論。-/リクナビNEXT[転職サイト])。

出来もしない接客(しかも代替する人も大量にいる)を延々とやらされるのは、社会にとっても求めている状況ではありません。単に「置かれた場所で咲きなさい」ではそのうち自分もつぶれるし、社会もつぶれてしまいます。

また、社会から求められることをするのであれば、その判断さえ誤らなければ失敗という概念が存在し得なくなることも、この考え方の良いところだと思います。

 

処方箋まとめ

「やりたいことがわからない」場合に試みるべき思考回路が出揃ってきました。

  1. そもそも「やりたいことをする」のが一番良いみたいな発想を捨て、夢を諦める
  2. やりたいことがあってもなくてもいいけど、決断して突き進む
  3. 自分にとってやりたいと思えることは絶対あるから、それに取り組む
  4. そのとき、将来の損得勘定は無駄であると知ること、客観的な変化を成長と位置づけること
  5. それでも失敗が怖くて出来ないなら、社会から求められていることをこなし、勝てるところで勝負する
  6. そのとき、自分の能力と社会の需給を知ること

こんな感じでしょうか。

自分の能力を知る方法?社会の需給を知る方法?

たぶんどっちも実際に色々見て聞いて試して考えてでしかわからないんでしょうね。

一応自分の強み(というか思考回路)を知る上で、ストレングスファインダーをやったことはありますが(自分の強みってやつは何ともよくわからない)、実際のところは僕も全然わかりません。

社会の需給に関しては、もちろんちきりん氏の『マーケット感覚を身につけよう』も読みましたが、やっぱり実際のところは試してみてはじめてわかるんでしょうね。

 

ああ、もんもんとした悩みのある人生って楽しいなぁ。だってそれでもやっぱり日は昇るんですから。

 

それでは。もんもん。