「宿命」なんてわからないけど明日も日は昇る

大学院に入る直前の3月、東北で大きな地震津波、そして原発事故というショッキングな事件を経験した。東京は自粛ムードで、あかりの灯っていない渋谷を見てなぜだか悲しい気分になったことを覚えている。僕らの大学の卒業式もなくなり、大学院の入学式もなかった。

こんなところで勉強していていいのか、僕は何をすべきなのか。当時はよくそんなことを考えていた。しかし、言い方は悪いが、普通にボランティアとして労働力を提供するだけなら僕でなくてもできる。僕は僕の仕事をするんだ、と言い聞かせて僕は勉強に取り組んでいた。

結局大学院1年目の前期、かなり悪い成績をとってしまった。どうやら僕は考えることをやめることは出来ず、関係ない本などをたくさん読んでは集中を欠いていたようだった。家族のキズナ、人とのツナガリなどという言葉を見かけない日々はなく、僕はいろいろな疑問を持つに至った。当時読んでいた本を振り返るとたとえば山田玲司『資本主義卒業試験』、鶴見済『脱資本主義宣言』、リンダ・グラットン『ワーク・シフト』、イケダハヤト『年収150万円で僕らは自由に生きていく』、平野啓一郎『私とは何か』、木暮太一『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』、坂口恭平『独立国家の作り方』などなど。見事に迷走している。特に坂口恭平氏の『独立国家の作り方』は本当にぶっとんでいて自分の既成概念のすべてが壊された気分だった。

僕は僕なりに頑張って勉強していたつもりだったが、大学院には文字通り天才みたいな人がごろごろいて、尚更ぼくに何ができるのだろうと思い始めてしまった。勉強ですら僕でなくてもできる人がいっぱいいるこの世界で、僕は何をすればよいのだろう。当時は結構深刻にそんなことを考えていた。

僕は未だに特にやりたいこともないが、強いて言えばおそらく競争に勝ちたいだけなのだと思う。競争に勝って何を実現したいかという目的意識はない。エリートになりたい、成功者になりたい、そういう曖昧な言葉とさほど変わりない。それがどんな競争なのかも皆目わからない。

AKBにはまりはじめたのもこの時期である。彼女たちは被災後しばらくしてから継続的に現地にトラックを走らせ、トラックをステージにライブ活動を続けてきた。大島優子さんは当時こう語っていた。「私たちは職業でアイドルをやっているのではない」。その真意は明らかではないが、つまりは人から言われて仕事として被災地訪問しているのではなく、一人の人として私はみなさんに元気を届けたい、そういった文脈であったと記憶している。彼女にかぎらずどのメンバーも被災地でのライブを終えると、思うところ感じるところを赤裸々に語っており、自分たちに課せられた使命―すなわち、人を笑顔にすること、である―を再確認しているかのようであった。

僕には彼女たちが眩しかった。使命感をもって自分の能力を使うことができる、これほど幸せなことがあるだろうか。

福田恆存という人がこんな言葉を残しているらしい。

私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である

私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わえるのだ

そして舞台のうえで快感を与えるのは、個性ではなく役割であり、自由ではなく必然性である

この言葉を引用し、まさしくアイドルという職業こそがその『舞台』であると評したのは中森明夫氏だが、僕はこの言葉に痛く感動してしまった。そうだ、僕が欲しいのは宿命なんだ。

しかし自由とは何なのだろうか。宿命とは何なのだろうか。

たまに恐ろしい妄想をすることがある。それは、目の前のことに集中できず、またやりたいこともなく日々の平凡さに退屈している、そう感じるときに起こる。「ああ、この世界がもっと大変だったらなぁ。そうしたら僕もがむしゃらに生きていく中で宿命とやらに出会えるだろうに」と。いわゆる破壊願望である。平和な世界に嫌気が差した若者が戦争をおっぱじめるような危険な妄想である。もちろん僕はそんなことは望んでいない。世界のどこかで起こっている多数の悲劇を最近耳にする機会もあった。本当に痛ましいとしかいいようがない。しかし宿命という甘美な響きはときとして僕をこの危険な妄想へと誘う。

だが、この妄想は2つの点から間違っている。まず自分の立場として、とくにやりたいこともなくぼーっとしている若者が生き残れるほど競争は甘くなく、そこに退屈さを見出すことはできないこと。そして世の中をみても、きっと解決すべき課題は山ほどあり、平凡さを感じている時点で受動的で盲目的な自分を露呈していること。

地球と人のエコシステムに乗っかっている僕は、この世界で僕自身を活かすことがまずは最大の宿命なのだ。外から宿命を与えてもらえるほどの存在ではない。自分を活かすとは、まず原始的なレベルで自分を生かすこと、そして自分の能力を惜しみなく提供することだ。自分自身を活かすこと以上の大きな宿命に出会うことがあるならば、それはおそらく自分だけでなく他の人までも動員して立ち向かわなければならないときである。アイドルだって周りではとんでもない数の大人が動いているのだ。そして、彼ら、彼女らはすべからずみな、自分を活かすことを生業にしているはずだ。

たとえ自分が代替可能な労働力であったとしても、小さな小さな、本当に小さな宿命を背負っていることを忘れてはならない。そこでやりたいことをやるか否かは関係がない。自分の能力を活かせていないと思うなら違うことをすればよいだけである。

どうすれば自分を活かせるかだって?そんなことは知らない。インプットとアウトプットを繰り返し試行錯誤するのみであり、その過程こそが宿命である。

 

大学院時代の僕に何か声をかけるとすれば、こんな言葉だろうか。

明日も日は昇る。なぜかって?それが地球と太陽の宿命だからだ。