【AKB48学】コラム2 『好き』を語る

Kindle化を断念した幻の『AKB48学』。そのブログ化企画です。

(経緯と目次はここでご確認ください→『AKB48学』っていうタイトルのKindle本を出そうとしてやめた話

 

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コラム2 『好き』を語る

 

 

 大島優子にとって、『センター』とは何か、いかがだったでしょうか。実はこの記事を書くにあたって、僕のやる気を掻き立ててくれた3冊の本がありました。

 ひとつは、戸部田誠(てれびのスキマ)『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』です。お察しの通り、この「AKB48学」や「大島優子にとって、『センター』とは何か」というタイトルは、この本にインスパイアされたものです。テレビのスキマさんの記事の一部はネットで読めるので是非ご覧頂きたいのですが(「タモリにとって『偽善』とは何か」など)、タモリさんの言葉や膨大な料の事実を丹念に拾ってひとつの物語に仕上げていく手法は「美しい」の一言につき、感動すら覚えます。今思えば、てれびのスキマさんにとって、タモリさんは「アイドル」だったのかもしれませんね。

 そして、小林よしのり中森明夫宇野常寛濱野智史AKB48白熱論争』と濱野智史前田敦子はキリストを超えた〈宗教〉としてのAKB48』です。著名な評論家のおっさんたちが、いい年こいてマジで十代の女の子たちにはまり、口角泡を飛ばしてAKBの行く末、そして日本の行く末を議論する。濱野氏に至っては、後に自分でアイドルのプロデュースまで行っています。アイドルについて語ってもいいんだ!という新鮮な驚きとともに、アイドルについて語ることの楽しさを教えてくれたのはこの方たちでした。

 自分の好きなことを語るのには、ひとつのハードルがあります。それは、そもそも自分の「好き」がわかっているかどうか、ということ。誰が好き、あれするのが好き、これ食べるのが好き。すべてはそこから始まります。でも、案外みんな自分が何を好きかを知らない。逆に嫌悪や不快の感情を表すことは多くても、好きの感情を表明することって、案外少ないのではないでしょうか。

 嫌いのハードルは越えられるのに、好きのハードルはなかなか越えられない。それはたぶん、主体的な好き嫌いと客観的な善悪を混同しているからだと思います。自分が好きなものは、世の中にとって良いものでなければならないと思ってしまっている節がどこかにある。嫌いを表明することは世の中にとっての悪を指摘することであり、悪をなくすことは世の中にとって絶対的に良いことだ、だから嫌いの表明は正義だし、簡単に出来る。一方で、自分が好きなものが絶対的に良いものだとは限らないから、それを表明できない。本当は、嫌いなものが世の中にとって悪かどうかも同じく曖昧なのに、そこを勘違いしてしまっている。

 僕は、常々、客観的な善悪の判断から自分を開放して、主観的な好き嫌いをちゃんと表明できる人になりたいと思っています。善悪の判断をしているときって退屈だし窮屈だし、つい自己卑下にもつながったりするから。だからこそ、「好き」を堂々を語るさっきの3冊の本に大きな感銘を受けたのだと思います。

 どんどん「好き」を語りましょう。発信しましょう。好きなことを語るのって、なにより楽しくってやめられない。みんながそんなことを考え、語り、互いに巻き込み合う世界が来れば、世界はもっと面白くなるんじゃないでしょうか。 

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