ノー・モア・フェイスブック

フェイスブックが面白くない。詰まらない。ツマラナイ。

ノー・モア・フェイスブック!と、裸一貫、(インターネットという)公共の場で叫び続けてはや2ヶ月が過ぎようとしている。

ミクシィの田舎風味溢れるみかん色を忘れかけたころ、まさに「フェイスブック・ブルー」と呼ぶに相応しい深い海を思わせる濃紺に目を奪われたことが昨日のことのように脳裏に蘇る。実名で自分の顔を惜しみなく晒すことに恐怖を覚えながらも、他人の個人情報をことごとく覗くことの出来る快感は、まさに深い海を覗き込んだ時の恐怖とワクワクから得られるそれと同じである。

しかし、どうだ、今のフェイスブックは。ただの青ではないか。

僕がアマゾンで買った布団の裏地と同じ、ただの青ではないか。

そこには恐怖もワクワク感もない。ぬくぬくとくるまり、眠りに落ちるだけだ。

 

フェイスブックは、ツマラナイ。

 

理由その1 「いや知らんし!」

いつからだろう、僕のフェイスブックがこんなにもツマラナイものになってしまったのは。

 

そうだ、フェイスブック上の友達が300人を超えてからだ。

僕のタイムラインは興味のないどこぞやの地元ニュースへの「いいね!」で溢れ、セルフ・ブランディング中の自営業者のおっさんが食べた高級焼肉への「肉汁したたるね!」でしたたり、披露宴かなにかで人生最大級の笑顔を見せる新郎新婦に対する「○○ちゃん、綺麗!」でマウンティングされ、たいして可愛くもない丸々太った毛の薄い赤ん坊とそのうぶな瞳に対する「ばぶばぶー!」で頭がおかしくなり、くそ可愛い猫が今日もやらかしたことに対する「引っ掻かれて痛そうだね!」で正気に戻るのだ。

 

もちろん友人の結婚式に呼ばれなかったこともひと目で了解できる。

僕を誘ってくれる友人なんぞよほどの変人だろうとはわかってはいるものの、やはり「もういいよ、ふーんだ」と人間のもっともオゾマシイ感情も湧き上がってくるものだ。 

 

おまけに、僕のタイムラインに登場する言語は、こんな感じである。是非解読を試みて欲しい。

Evolutionary biologist and vocal critic of religion Richard Dawkins suffered a minor stroke recently.

ทุกวันนี้ทหารเราก็แบกภาระในการต่อสู้ รบราฆ่าฟันกับอริราชศัตรูรอบด้าน ประเทศเรานี่ก็อยู่ในสภาวะการสงครามมานาน แถมทหารยังต้องแบ่งกำลังมาบริหารประเทศอีก

리슬의 봄을 소개합니다. 첫 번째 봄 제품은입니다.

看來秀上的350實著圖 已經有明確的可見圖了

الحكم بإعدام الفيلسوف العظيم سقراط 

الرجل الذي جرؤ على السؤال ، ودفع ثمن ذلك حياته ، ومات ، فلما مات ..عاش 

وسيظل حيا إلى الأبد(アラビア語なので本当は右から書いてある)

Nuestro cabello es una red capaz de atraparlo todo, es fuerte como las raíces del ahuehuete y suave como la espuma del atole.

オリエンタルラジオと言えば、リズム芸!新ネタ?「PERFECT HUMAN」が早くも話題沸騰!!

以上は全て友人が「いいね!」していたニュースみたいなやつから抜粋したものであるが、こんな感じに僕のタイムラインには、英語、タイ語、韓国語、中国語、アラビア語、スペイン語、日本語などが並んでいる。

何も他の言語がどうとか言いたいのではない。ご覧のとおり、日本語と英語以外、単純に読めないのだ。

 

ちなみに上記をグーグル翻訳にかけるとこうなる。

進化生物学者と宗教リチャード・ドーキンスのボーカル評論家は最近マイナーストロークを負いました。

今日は、軍の戦いの負担を負います。すべての側の敵との戦争に行きます。私たちは戦争状態にありました。しかし、兵士たちは、まだ国の管理に分割されています。

リスルの春を紹介します。最初の春の製品は、です。

地図ショーに350本当の意見は明らかに図を見てきました

偉大な哲学者ソクラテスの死刑判決 彼は..ash死んだとき、疑問をあえて男が、彼は彼の人生の価格を支払って、彼は死にました そして、それは永遠に生き続けます

私たちの髪は、すべてをキャッチすることがネットワークであり、それははげヒノキの根のような強いと発泡アトレのような柔らかいです。

オリエンタルラジオと言えば、リズム芸!新ネタ?「完全な人間」が早くも話題沸騰!!

 いやもうほんと何言ってるかさっぱり分からない。

 「ボーカル評論家」、「最初の春の製品は、です」、「本当の意見は明らかに図を見てきました」「彼は..ash死んだとき」、「はげヒノキの根」、「完全な人間」、「はげヒノキの根」、「はげヒノキの根」…

 

何なんだまじで。

 

このように、春の小川のように穏やかであったはずの僕のタイムラインは、いまやうなり狂う激流のような様相を呈している。

「いやあんた誰!」、「いや興味ないし!」、「いや読めねーし!」。友人の「いいね!」で溢れたタイムランによって、僕の頭の中はこの3つのツッコミで溢れてしまう。

 

では僕は単なる情報の過剰摂取に陥っているのかと言われると、そうでもない。なぜなら僕は他に、ツイッター、インスタグラム、リンクトイン、たまーにタンブラー、そしてこのブログと使っているからだ。

要はフェイスブック上の情報のほとんどが、「いや知らんし!」か「はげヒノキの根!」で片付けられてしまうから、ツマラナイにすぎない。

 

理由その二 自分から発信していない

僕はもうフェイスブックにポストすることがほとんどない。

 

コミュニケーション。人と人との触れ合い。

社会的な動物である僕らにとって、これに勝る快楽はそうそうない。どんな体験だって、人と共有する瞬間がもっとも楽しい。

 

あなたは、海に向かって「ばかやろー」と叫んだ経験はあるだろうか。

それとも、海に向かって「大きな声で ここで私の事好きって言って」と叫んだ経験はあるだろうか。

 

僕はない。

だが吉高由里子なら、ある。

このCMを見てほっこりするのは、一人で発したはずの言葉が他人に届き、そこに意図せずコミュニケーションが発生してしまっているからである。

このCMを見て誰か特定の人を想い起こしてしまったなら、それはこのCMの思う壺である。だが、それを止めることは誰にも出来ない。

コミュニケーションとは、そういうものだ。

 

しかし、フェイスブック上のコミュニケーションは、広く浅く、誰に宛てられたものなのかわからないものも多い。

だから、ツマラナイ。そして、そんな広くコミュニケーションを取ることによる煩わしさのほうが勝ってしまっているのが僕の現状である。

だから僕は日常的な投稿は全てツイッターかインスタグラムで行っている。

とくにコミュニケーションをしている感覚もなく気軽であり、かといって全く誰からも見られないというわけでもない。

 

ちなみに僕は、3年前から、自分の誕生日の翌日に何かしら投稿することにしている。

これはフェイスブックやらラインやらリアルやらで「おめでとう!」と声をかけてくれたことに対するお返しのようなものである。要約すればこんな感じの内容のことを投稿した。

 

昨年=アメリカ来たけど、アイデンティティ・クライシスなう

一昨年=ありのままで、関西人になりたいなう

一昨々年=人生の目標は、144歳まで生きることなう

 

変な投稿であることは間違いないが、一年に一回という生誕祭なわけで、だいたいは無礼講として流してもらっている。そして、こんな投稿にも少しばかりコメントは付く。

だから、何を隠そう投稿することそのものは楽しいのである。それはあんまり変わらない。でも煩わしい。だから結局、他のサービスの方が楽しくて、フェイスブックはツマラナイのである。

 

今後の対策

他人の投稿がツマラナイこと、自分の投稿もツマラナイこと。フェイスブックがツマラナイ理由はこの二つに尽きる。

面白くないことはやらない。きっぱりフェイスブックもやめれば良い。こういう思い切った決断をして後になって「お前だけフェイスブックやってなくて同窓会の連絡めんどくせーよ」と言われたって構わない。「え、お前なんでフェイスブックやってないの?てっきり来れないだけかと思ってたよ」と同窓会のことなんてなんにも知らなくて愕然としたって構わない。

 

あとで後悔するのは、僕の大好物である。

 

思えば、わざわざ僕がフェイスブックを使っている必要はないのだ。

これに気付いてしまった僕は本当に天才としか言いようがない。

 

なぜか?僕の友人・知人は基本的にみなフェイスブックを使っているからだ。

すなわち、ラインその他で繋がっている誰かに「あいつと連絡取りたいんだけど、お願いできる?」と頼めば良いに過ぎないのだ。コミュニケーション強者の方々なら渋い顔一つせずに教えてくれるであろう。

そうやって貸しをつくってもらって、あとでお返しするということができれば、そこにはコミュニケーションが生まれて、煩わしくもきっと楽しいものになるだろう。一方で、そういうお願いをするのすら煩わしく面倒と感じるのなら、それは本当に自分にとって必要な情報ではないということの現れでもある。そんなものはさっさと諦めれば良い。

 

面白くないからフェイスブックをやめたのに、その副次的な効果として面白いことが起るっているのは、明らかに「面白い」。

 

皆さんには、これからもどんどんフェイスブックを楽しんでもらいたい。

そうすれば、僕はますますフェイスブックを使わなくて済むようになる。

 

さあ、みんなも一緒に「レッツ・ジョイン・フェイスブック!!」

 

それでは。もんもん。