成功とは愛されることだと僕は思う

「成功とは何か?」と問われれてすぐに答えが出る人はどれくらいいるだろうか。

そんなことを考えてしまったのは、さきほど仕事帰りにこんな記事を読んでしまったからである。

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ここで紹介された人物たちによれば、成功とは、お金や権力だけではなく、幸せを感じることだったり、良好な人間関係に恵まれること、仕事を楽しむこと、社会に影響を与えること、絶えず成長すること、優れた人格をもつことなどと定義されている。

みなさんはどんな感想を抱いただろうか。僕は、なんとも体の良い、上っ面だけというか、あまりにも模範解答な感じがして、「つまんねー記事だな」と思ったというのが正直なところである。誰も真実を語っていないんじゃないかな?なんて。

彼らはもう社会的に超がつくほどの圧倒的な成功を収めている人物たちである。そんな人たちがいまさら「成功とは主観的なもので、要は自分が幸せを感じるかだ(つまり、あなたも今から成功者になれますよ、みんな成功者になれるんですよ)」といったところで、なんの説明にも慰めにもなっていない。幸せな人が成功するのか、成功した人が幸せになるのか。そこに答えが出ない以上、もはや鶏と卵の議論と同じである。

 

僕はこれについて、若造なりにある程度明確に答えがある(というかさっき歩きながら、ふとそう考えるに至った)。

この記事のタイトルのとおり、「成功とは、すなわち愛されること」である。こいつ急にクサイこと言い始めるやん誰やねん、と思ってしまったのなら、もっと単純に「成功とは、すなわち求められること」、こんな程度でもいい。

 

そもそも「成功」とは、社会が存在するからこそ始めて発生する事態であって、基本的には客観的なものであるべきである。社会が存在しないのであれば、どんなにその人が幸せを感じていたとしても(たとえば100匹の犬に囲まれて暮らすホモ・サピエンスなどがそれにあたるだろうか?)、それをあえて成功と呼ぶことになんら意味はない。誰かが誰かを愛するという状況が発生して初めて、成功というものも観念しうる。

考えてもみてほしい。もしその人がみんなから愛されるような人であれば、良い友達にも囲まれるだろうし、良い仕事をしているに違いない。そのうち当然お金も権力も集まる。必然的に社会的に影響力もあるし、成長もするし、もちろん人格者でもあるだろう。そんな状況であれば、幸せを感じるなという方が無理というものだ。

これを「成功」と呼ばずしてなんと呼ぶ?

 

さて、みなさんのなかには、「富豪や権力者、もしくは愛されることが職業のアイドルとかであっても幸せじゃない人もいるじゃん。それに求められるといっても、ブラック企業で疲弊していく人もいるじゃん。そんなの成功者じゃないよ」と反論したくなる人もいると思う。

でも、思い返してほしい。僕が言っているのは「愛されること」であって、「利用されること」「搾取されること」や「倒錯した愛情を一方的に押し付けられること」ではない。そういうものは、一見、愛され求められているようにみえて、吸い取られているだけだ。愛するとは、特に理由はないけど何か与えたくなっちゃう、見返りなんていらない、与えられるそれだけでもう満足、そういう感情のことである。

また「さっきの記事によれば、仕事に没頭できることが成功だとエジソンはいっているようだけど?」との質問については、「仕事とは何か」を考えればすぐに結論が出る。社会から(将来的にも)求められないような類の活動は、それがどんなに完成度が高いものだったとしても、成功と呼ばれることはないし、自分でそれを成功と呼ぶこともできないだろう。それは自慰行為に没頭しすぎてそのまま死ぬのと何ら変わりがない。たった一人でもその人の活動を称えてくれる人がいて(もしくは称えてほしいと思えるような人がいてくれて)はじめて、仕事と呼ぶにふさわしくなる。

 

結局、世の中には、成功している人と成功していない人が必ず発生してしまうわけである。物理的時間的に制限のある人間にとって、愛は無限には存在しないのだから、愛される人と愛されない人がいることは当然の帰結である。

そういう真実をいわずに「あなたも今から成功者ですよ。誰もが成功者になれますよ」なんて甘い言説で調子よく読者をくるもうとするから、さっきの記事は上っ面だけでツマンナイのである。

 

問題は「どうすれば成功できるのか」、つまり「どうすれば愛されるのか」であるが、思うにこれは、愛される努力をした瞬間にそこから遠ざかってしまうことが原理上仕組まれている気がしてならない。「愛されたい」と考えた瞬間、それは単なる承認欲求の充足のための手段になりさがってしまって、自分が「愛されたい」と考える前から持っていた性質を捻じ曲げてしまう可能性が高い。人は意外にもそういうものに敏感である。自分の性質を変えてまで愛されたいという人は、周りに向かって「私に愛をちょうだい!」と叫んでいるのと同じで、愛してもないのに誰がくれてやるものか、とみんな心を閉ざしていく一方だ。

だから愛される方法はこの世には存在しないと思っている。意図的にそれを行った瞬間、いままで存在していた愛すらもそこから消滅してしまうから。原理的に愛というのはそういう性質があるものだから、僕達にできる数少ないことは何かといえば、「愛すること」だけである。無邪気に与える側になることしかできない。その愛を誰かが受け取らなかったとしても、それは相手次第だから我々の関知できる話ではない。そして、もし自分が愛する人が他に人にも愛されて成功しているならラッキー!というだけで、めぐりめぐって自分にもその愛が届いてきた(または愛する相手から愛をお返ししてもらえた)なら超ラッキー!というだけの話である。

 

と、まだまだ続きを書きたいが、今日はこれにて。もんもん。

 

追記・こちらもご参照。どうすれば愛されるのかといったら、たぶん「アイドル化」するしかないんじゃないかなぁって話。

【AKB48学】コラム6 すべての人は、『アイドル化』していく - にゃこの日記